2026年10月14日水曜日

平塚市 おひさま鍼灸院 ホームページに戻る
募穴(ぼけつ)


(カラー版 経穴マップ  第2版 王暁明著 医歯薬出版株式会社)より引用


「募穴」は胸腹部にある五臓六腑(六臓六腑)の気が集まるツボとされます。

黄帝内経(素問・霊枢)では背中側にある五臓の気が注ぐツボとして背兪が登場しました。

これより少し遅れてお腹側に「募穴」が現れます(黄帝内経にも胆募兪、胃之募という言葉は出てきますが募穴との関係は不明)。


難経(六十七難)(黄帝内経より少し後、1~3世紀ころ)に


「五臓の募(募穴)はみな陰(お腹側)にあり、兪(背兪)はみな陽(背中側)にあるのはどうしてか。それは陰病は陽に行き、陽病は陰に行く。故に募は陰にあり、兪は陽にある」

とあります。ここで五臓の募穴が登場しますが経穴名はありません。


募穴の経穴名が現れるのは、背兪の五腑の経穴名と同じく「脈経(王淑和・3世紀後半頃)」からです。

五臓・肝(期門)心(巨闕)脾(章門)肺(中府)腎(京門)
五腑・胆(日月)小腸(関元)胃(中脘)大腸(天枢)膀胱(中極)

五臓五腑が揃います。

さらに針灸甲乙経(皇甫謐・256年頃)で三焦(石門)が示され五臓六腑となりました。

残る心包の募穴を「素問」や「類経」をもとに(膻中)としたのは日本の代田文誌(1900~1974年)先生だそうです。

これで六臓六腑の募穴が全て揃いました。

中国では脈診を中心にしてお腹に触れること(日本では腹診として発展)は重視されず衰退したと言われます。理論好き、統一好きの中国で心包の募穴が放置されたままだったのはこの辺の事情もあるのでしょうか…。


「募穴の文献的考察」 浜添圀弘著

「募はさえぎっている莫の下に力がある、力源があると解釈できる。いわゆる、募穴は体外よりは見えないが、中に各経の力源→臓腑がある。したがって各臓腑のある部位の穴の意となる。」


募穴が臓腑の名称のついた十二経絡(手太陰肺経など)の自経(その経脈上)にあるのは3穴のみです( 肺経、肝経、胆経)。

募穴はそれぞれの臓腑がある位置(近く)のツボを取ったようです。背兪と同じように経脈とは関係なさそうです。

腹診の発想の原点の一つとされる難経(十六難)には五臓の脈に対する腹部の動気の現れる場所が示されています。


(新しい鍼灸診療 北出利勝編 医歯薬出版株式会社)より引用


「難経」と「脈経」の募(募穴)の位置はそれぞれ違ったかも知れません。




参考文献

日本鍼灸の診断学 有馬義貴・森洋平編 メディカルユーコン

カラー版 経穴マップ  第2版 王暁明著 医歯薬出版株式会社

新しい鍼灸診療 北出利勝編 医歯薬出版株式会社

よくわかる黄帝内経の基本としくみ 左合昌美 秀和システム

針灸要穴辞典 趙吉平・王燕平 東洋学術出版社難経解説 南京中医学院編 東洋学術出版社

現代語訳 黄帝内経 素問 南京中医学院編 東洋学術出版社 

募穴の文献的考察 浜添圀弘

2026年10月10日土曜日

そのまま


そうね。明るくしている方が楽しいわよね、明るい人にとっては。
けど、暗い人には疲れちゃうわよね。

だからね、楽しくするってより、楽にする。なのよ。


リトルミイの言葉でした。

2026年9月25日金曜日

背兪(背部兪穴)あれこれ


背兪は臓腑(五臓六腑・六臓六腑)の気が注ぐ所(ツボ・兪)とされ、背中を通る足太陽膀胱経(経脈)の1行線(脊椎棘突起外方1.5寸)に並んでいます。




原点である黄帝内経(素問・霊枢・前漢~後漢ころ・前200年~220年)を中心にみてみます。

黄帝内経は一人の著者によるものではなく論文集のようなもので、それまでの時代の様々な説が纏められています。また現在の黄帝内経(素問・霊枢)は当時のままではなく、後世の修飾も経ています。


黄帝内経では「兪・腧・輸」のいずれもツボを表す言葉として使われていますが、もとは「輸」だったとの説があります。

滑伯仁(1304〜1386年頃・十四経発揮、難経本義、診家枢要など)

「兪とは、『史記』扁鵲伝では輸に作っており、委輸〔貨物を運ぶこと〕の<輸>のようなものであり、経気がここから他に輸送されることをいっている。」

難経解説 南京中医学院編 東洋学術出版社 361~362ページ


のちに区別するため「兪」は背兪穴に、「輸」は五輸穴に、そして「腧」は腧穴(ツボ)の総称として使われるようになりました。

霊枢(九鍼十二原篇)では、手足の先から肘膝までにある五つのツボをそれぞれ、井(出る)・栄(留る)・輸(注ぐ)・経(行く)・合(入る)としています(五輸穴)。

輸は「注ぐ」所となっています。


霊枢(背腧篇)の冒頭は「五臓の兪が背より出づることを聞きたい。」と始まります。

五臓のみで六腑はまだありません。

霊枢(背腧篇)での背兪は五臓(肝兪・心兪・脾兪・肺兪・腎兪)と大兪、膈兪の7穴です。五臓に大兪(大杼)、膈兪の2穴が追加されている理由は書かれていません。

素問(血気形志篇)での背兪は五臓の5穴のみです。

素問(気府論篇)には足太陽脈気の発する所のもの78穴の内「五臓の兪は各々5穴あり、六府の兪は各々6穴ある」とありますが、経穴名や位置は示されていません。

背兪穴の六臓六腑がすべて揃うのは

脈経(王淑和・3世紀後半頃)で五腑(大腸兪・小腸兪・胃兪・胆兪・膀胱兪)

針灸甲乙経(皇甫謐・256年頃)で三焦兪

備急千金要方(孫思貘・652年)で厥陰兪(心包兪)

となります。


背兪の位置については

霊枢(背腧篇)と素問(血気形志篇)とで説明されていますが(素問・剌熱篇もか)、それぞれ違います。

霊枢(背腧篇)では五臓が上から順に並びますが、素問(血気形志篇)では肝兪と脾兪が同じ高さで左右に分かれます(素問では右が脾で左が肝、太素や医心方では左右逆)。

また霊枢(背腧篇)には「押すと中に反応があり、痛むところが輸(ツボ)である」とあります。


背兪を用いる治療については

霊枢(背腧篇)「お灸を用い、気が盛んであれば寫し、虚であれば補う。火を使って補う時は自然に消えるまで待ち、瀉す時は吹いて早く燃やし、素早く消えるようにする」

素問(奇病論篇)口苦(口が苦くなる)を病み陽陵泉を取っても治らない人に「胆募と兪(背兪)を以ってす」

霊枢(五邪篇)邪が肺にあれば「中府、雲門と背部第3椎の両傍、肺兪を取る」

素問(刺瘧篇)「瘧(おこり・悪寒発熱を繰り返す)で脈が満・大・急なれば背兪を刺す」

霊枢(衛気篇)では十二経脈の本(下・根本)と標(上・現れる所)について、本を手足末端とし、五臓と繋がる陰経の経脈の標は背兪(手太陰のみ脇)に繋がると説明されています(陽経は頭部に)。「上下の虚盛(虚実)を診て、盛(実)であれば絶して止め、虚であれば引いて起こす」

また気街(気の大きな通路・頭、胸、腹、脛)の病の治療について、気が胸部にあるときは膺兪(前胸部)と背兪、気が腹部にあるときは背兪を用いるとあります。

難経(六十七難)(黄帝内経より少し後、1~3世紀ころ)には

「五臓の募穴(胸腹部のツボ)はみな陰(お腹側)にあり、兪穴はみな陽(背中側)にあるのはどうしてか。それは陰病は陽に行き、陽病は陰に行く。故に募は陰にあり、兪(背兪)は陽にある」とあります。ここでは五臓となっています。

素問(陰陽応象論篇)に

「陰分を刺して陽分の邪気を導き、陽分を刺して陰分の邪気を導く、陽病は陰分を治療し、陰病には陽分を治療する」とあります。



霊枢概要 神麹斎(左合昌美)著 185ページ

「背兪を足太陽膀胱経脈の上に配するのは間違いであると思う。背兪と蔵は直接に対応しているのであって、広い意味での局所治療的なものである。」

「そもそも背兪と足太陽の脈はともかく、膀胱の脈とは関係ないと言っておきたい。」


原点は経絡と関係なく、五臓の反応が現れる(注ぐ)場所として背部のそれぞれの臓と近い位置に反応点を探り治療したということでしょうか。

であれば背中の広い範囲を面で捉え、五臓の反応を探っても良さそうすね。

そういえば…

積聚治療(しゃくじゅちりょう)では、背中の広い範囲で上から五行(五臓)に分けいました。


五臓(五臓六腑)のツボとしては背兪の他に

霊枢(九鍼十二原篇・本輸篇)には「五臓六腑の出づる所」として肘膝から先にある五輸穴と、「五臓を主治する」という十二原穴(五臓と膏の原、肓の原・手足と鳩尾と臍下)が出てきます。

霊枢(五邪篇)では邪が五臓にあるときの治療として、それぞれのツボが示されています。ここでは背兪穴の肺兪も含まれています。



黄帝内経は臨床を重ねて新たに発見され追加されたものと、思想や理論から推測しこうなるはずだ、こうなると理想的だと取り入れられたものとが混在しているようです。

例えばツボは1年365日に応じて365穴あるとされています(実際は132穴ほど)。

ただ理論から取り入れられたと思われるものも、実際に効果があったり(なかったり)するようで侮れません。

この世界はいろいろ複雑ですが面白いですね…。




参考文献

霊枢概要 神麹斎(左合昌美) ヒューマンワールド

よくわかる黄帝内経の基本としくみ 左合昌美 秀和システム

針灸要穴辞典 趙吉平・王燕平 東洋学術出版社難経解説 南京中医学院編 東洋学術出版社

ナラティブ霊枢 名越礼子 ヒューマンワールド

現代語訳 黄帝内経 素問 南京中医学院編 東洋学術出版社  

経穴部位標準化の歴史的意義 真柳誠 https://square.umin.ac.jp/mayanagi/paper01/keiketsu.html

2026年8月30日日曜日

復活


スーパーでしばらく見掛けなかった 特デカチョコバー が復活してました~♪

やったー(^^)

2026年8月19日水曜日

2026年8月11日火曜日

今日は 山の日 ですね。

2016年(平成28年)に施行されたようです。

山 (大自然) に感謝します(^^)


ちなみに東洋医学では、人体を大自然の縮図と捉えます🌳🌅⭐

2026年7月29日水曜日

 備蓄・防災


神奈川県の備蓄ナビです。家族構成を入力すると必要なものと量がでてきます。

https://www.pref.kanagawa.jp/osirase/0311/bichikunavi/


神奈川県 災害への食の備え

https://www.pref.kanagawa.jp/docs/x2p/cnt/f47/p2160-2.html


神奈川県 携帯トイレを備蓄しましょう

https://www.pref.kanagawa.jp/docs/j8g/bousai/keitaitoirebitiku.html

2026年7月23日木曜日

2026年7月20日月曜日

今日は海の日ですね。

「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う日」


大自然の恵みと、日本に感謝します。

2026年7月18日土曜日

キューちゃん


きゅうりのキューちゃんで一杯。増量(^^)♪

2026年6月22日月曜日

現存最古


遣唐使が廃止(894年)され、それまでに輸入された大陸の文化を日本の風土、感性に合うように洗練させた「国風文化」が花を咲かせます。

医学の分野でも日本人による医書の編纂や注釈が行われるようになりました。

大同類聚方(808)、金蘭方(870年以前)、注釈書では難経開委、集注太素などが編纂されましたが、これらは失われています。

日本に現存する最古の医書は「医心方」(いしんほう・984年・全30巻)と呼ばれる書物です。

丹波康頼(たんばのやすより・912~995年・針博士、医博士)により編纂されました。

それまでに伝来していた医書を悉く読破し編纂されたもので、平安時代における中国医学受容の集大成といわれます。


「ほとんどは漢~唐の医薬書からの引用からなるが、その編集法には日本人的選択眼が反映されている。すなわち、陰陽五行や脈論など、観念的・思弁的な論は排除する傾向にある。論理よりも即応性・実用性を重んじた日本的にほんの個性のあらわれである。」 

針灸の歴史 小曽戸洋・天野陽介著 大修館書店 172ページ


典薬寮(律令制において宮中の医療を主る機関)の典薬頭(てんやくのかみ)などの主要な役職は、和気清麻呂(733~799年)の長男である和気広世(わけのひろよ)の家系(半井家・なからい)と、この丹波家で代々世襲されていきました。


ちなみに①

和気清麻呂は道鏡による皇位簒奪(さんだつ・天皇の位を奪うこと)の野望から皇統を守ったことで有名ですね。

ちなみに②

丹波康頼は渡来人の家系で、後漢の霊帝(156~189年)の子孫とされています。さらにその子孫にあたるのが丹波哲郎さんだそうです。

ちなみに③

日本で最初に著された医書として和気広世による薬経太素(799年)という説がありますが、これはた誤訳から生まれた誤りのようです。実際には和気広世が陰陽道の書や新修本草と太素の講義を行ったそうです。

和気広世は最澄(766~822年)や空海(774~835年)とも関りがあったようです。

ちなみに④

丹波康頼(912~995年)と安倍晴明(921~1005年)はほぼ同時代です。


典薬寮(宮中の医療を主る機関)の長官にあたる初代の典薬頭は役小角(えんのおづぬ・修験道の開祖 )に師事したとされる呪術師、韓国広足(からくにのひろたり・物部氏・732年)が就いています。当時は医師、針師らと共に呪術師(呪禁博士・呪禁師・呪禁生)が置かれていて、医療と呪術が近い関係にありました。呪術師は後に陰陽寮に吸収されます。

丹波康頼が編纂した医心方の中にも呪術的な要素が残っているようです。

同時代に典薬寮と陰陽寮で生きた丹波康頼と安倍晴明は何か交流があったのでしょうか…。


参考文献 

新版 漢方の歴史 小曽戸洋 大修館書店
針灸の歴史 小曽戸洋・天野陽介 大修館書店

2026年6月5日金曜日

2026年5月6日水曜日

典薬療(てんやくりょう)


飛鳥・奈良時代に国家の法体系・制度(律令制)が整えられ、宮内省には典薬療が設けられました(大宝律令・医疾令・701年)。

典薬療は医師(いし・くすし)・針師・按摩師・薬園師・呪術師などで構成され、朝廷の医療、薬園の管理、医学教育などが行われました。(皇室の医療に携わる内薬司(ないやくし・うちのくすりのつかさ)も後(896年)に典薬療に併合されます。)

医療も唐の法令に準じて(唐の水準に比肩しようと)次の書物の学習が要求されたそうです。

医生(医学生) 甲乙経 脈経 本草 小品方 など

針生(針学生) 素問 黄帝針経 明堂 脈訣 流注図 偃側図(えんそくず) 赤烏神針経など

医生、針生は13~16才から7年間ほど学び厳しい試験を受けたようです。


平安時代(820年の勅令)には疱瘡(天然痘)の流行からか針生にも薬剤の知識を要求されます。

新修本草(薬) 明堂 劉涓子鬼遺方(外科・りゅうけんしきいほう)と、さらに小品方 集権方 千金方 広済方 の瘡の治療に関する部分の学習を課せられました。

延喜式(法典・養老律令の施行細則・927年完成)では、太素 新修本草(薬) 小品方(薬・灸) 明堂 難経 の5書に定められます(912年)。


菅原道真の諫言により遣唐使が廃止(838年)されたのは、唐が衰えてきたことや、航海の危険性もありますが、すでに唐の文化を十分に取り入れていたからとも言われます。

この時代の医書についても隋書・経籍志(図書目録)に匹敵するか、凌駕するほどだったそうです。

この典薬療は明治維新により制度改革されるまで続きました(明治2年・1869年廃止)。


中国医学は今から2000年ほど前に纏められた黄帝内経(原本は喪失・この中では素問・黄帝針経・甲乙経・太素)などの古典を基礎に発展したものです。現代もそれと同じ(あるいは近い)ものを学べるというのは感慨深いですね…。


参考文献 

新版 漢方の歴史 小曽戸洋著 大修館書店
針灸の歴史 小曽戸洋・天野陽介著 大修館書店

2026年4月25日土曜日

平塚八幡宮

午年に八重ちゃん誕生 祝!


タウンニュース 平塚八幡宮 神馬の赤ちゃん誕生 「八重」と命名

https://www.townnews.co.jp/0605/2026/04/24/834194.html

2026年4月22日水曜日

復活!


枯れかけたシクラメンが綺麗に咲いてくれました~♪

2026年4月3日金曜日

さくら


公園の桜です。

もう少しで満開です🌸

2026年3月28日土曜日

腸活


健康の基本は腸内環境と言われます。

リウマチやパーキンソン病などの難病と腸内環境の関係も指摘されています。

さらにうつなど心の病とも密接な関係があるようです。

2026年3月17日火曜日

2026年3月15日日曜日

2026年2月21日土曜日

釣りキチ


釣りキチ三平大解剖を見つけました!

小学生の頃大好きだった釣りキチ三平。
最終回は(おそらく)はじめて読みました♪


実は鍼灸も釣りと関係があります…

杉山真伝流・表の巻(江戸時代)には

予按ずるに、「応じ至るの気を察するに、軽・滑・慢にして未だ来たらず。沈・ 濇・緊にして已(すで)に至る。既に至るや、寒熱を量りて留め疾くす。 未だ至らざるや、虚実に拠りて気を伺う。気が至るや、 魚が釣り餌を呑込み浮き沈みする如く、気がまだ至らなければ、閑処幽堂の奥深い処の如し。気速やかに至れば而して効し、気遅く至れば、而して治らず(効も遅くなる)」と。

鍼を刺して気の至る感覚について中国の医書(標幽賦・竇黙著・金元時代・1270年ころ)から引用されています。

よ~し、オラも久しぶりに釣りに行ってみっかな~♪



参考文献 

杉山真伝流・表之巻 和訓・注釈 大浦慈観 平成16年

「得気 」(鍼のひびき)についての文献 考察 明治銭灸大学東洋医学教室

奈良上真 和辻直 渡邊勝之 篠原昭二

2026年2月20日金曜日

静岡


静岡の地酒 超辛口 花の舞。

おつまみは油揚げとキャベツです。

2026年2月11日水曜日

今日は紀元節(建国記念の日)ですね。

皇紀2686年。

日本と先人に感謝します。

2026年2月8日日曜日

梁塵秘抄


大雪で子供たちがキャッキャと遊んでました。

遊びをせんとや生まれけむ

いいね(^^)

2026年2月5日木曜日

君たちはどう生きるのか


午年なので神馬さんのいる八幡宮へお詣りに。
お池にはアオサギとカモ、アヒルさんたちがくつろいでいました。

昭和おじさんからすると平塚の八幡さまと言えば鶏🐓でした…。

2026年1月31日土曜日

いか


いかの塩辛で一杯。

お酒は京都の金鶏正宗(キンシ正宗)。

2026年1月24日土曜日

赤鬼


オリンピックに赤鬼くんがいました(^^)
もうすぐ節分ですね。

2026年1月9日金曜日

すずめの術


氏神さまへ初詣に行ったらすずめさんが集まってお食事中でした。
かわいいですね♪

実は鍼灸の技術にも「すずめの術」があります。

雀啄(じゃくたく)術と呼ばれます。

江戸時代に著された秘伝・杉山真伝流には「雀啄手術の法」として

「直に鍼を下す。浅深は宜しきに随うべし。部分に進み入れて、雀の啄む(ついばむ)が如く、チョクチョク連属し、又たスキトキレて(透きと切れて)、又た連属す。雀の啄みするに似るが故に、之を名づく。口伝あり。」

とあります。

口伝の中では雀啄の前後に撚りが加わっています。

撚りについては

「凡そ、先ず鍼刺して暫くの間して、撚り動かし試みるに、一体に鍼の穂半分ごろまで、何となく鍼渋る様になることなり。此れ気の来る印なり。此の時、気を静め、押手を強くすれば、必ず爪下に動脉の象の如く知るるなり。そこで暫く、鍼を静かに撚る時は、其の気離るるなり。疑うこと勿れ。」

と書かれています。



参考文献

杉山真伝流・表之巻 和訓・注釈 大浦慈観著 2004年

杉山真伝流 臨床指南 大浦慈観著 六然社 2007年

2026年1月2日金曜日

ひなた

日向に植物を移動します~🌞


「幸福とは今日もおひさまが昇ること」バカボンのパパ

2026年1月1日木曜日

令和八年

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

2025年12月31日水曜日

感謝。

本年も大変お世話になりました。皆さまのご支援に心より感謝申し上げます。どうぞ良いお年をお迎えください。

2025年12月30日火曜日

2025年12月25日木曜日

一之宮


冬至あけに寒川神社にお詣り出来ました。

令和八年(2026年)の迎春ねぶたは平家物語から「丙午(ひのえうま) 那須与一 勝利の的」だそうです。下から見上げると白馬の迫力が凄かったです。

2025年12月23日火曜日

冬至が過ぎて今日からおひさまの時間が長くなりますね(^^)

祝!

2025年12月12日金曜日

甘酒


寒くなってきました。風邪予防に甘酒。
こちらは米麴の甘酒です。
米麹と酒粕の甘酒はそれぞれ効用があるようです。
酒粕から作る甘酒は糖分を調整出来るので良いですね。

生姜を入れて温まります(^^)

2025年12月4日木曜日

 ことば


ルーシー「人生、もううんざり…生まれてからこんなに落ち込んだことはないわ…」


ライナス「そういう気分のときは、感謝すべきもののことを考えるようにするんだ…つまり自分がどういう点で恵まれているのかを考える」

2025年11月28日金曜日

クリスマス



オリンピックのクリスマスツリーです。
いいね♪

2025年11月23日日曜日

今日は新嘗祭(勤労感謝の日)ですね。

自然と恵みに感謝します。

2025年11月21日金曜日

三焦あれこれ②


つぎに難経(黄帝八十一難経)から三焦について抜きだします。


三十一難 三焦の働きとは、何処で始まり終わるのか、治療はどこを使うのか?

水穀の道路(消化器)、気の終始する所(活動のすべて)なり。上焦は心下の下膈に在り、胃の上口(噴門)にあたり内る(入る)を主り出さず。其の治は膻中にあり。玉堂の下一寸六分で、左右の乳間の陥、是なり。中焦は胃の中脘にあり、上でも下でもなく、水穀の腐熟を主り、その治は臍傍に在り(天枢)。下焦は膀胱の上口にあり、清濁の分別を主り、出すを主り入れず、以って伝導する。その治は臍下一寸(陰交)に在り。故に名づけて三焦という。その府は気街(気の道、全身の頭・胸・腹・脛)に在り。

三十八難 臓は五なのに、腑は六つあるのはなぜか?

腑が六つ有るのは、三焦があるからです。原気の別で有り、諸気を主持す。名有りて形無く、その経は手の少陽に属す。これ外府なり。

六十六難 五蔵の兪(穴)は三焦の行く所。(三焦の気の)留止する所。三焦の行く所の兪を原(原穴)と為すのはなぜか?

臍下の腎間の動気(丹田)は人の生命なり。十二経の根本なり。故に名を原(気)と曰う。三焦とは原気の別使なり(原気を輸送する使者)。三気の通行を主り、五臓六腑を経歴す。原とは三焦の尊号なり。故に(三焦の気が)止まる所を輙(すなわち)原(穴)と為す。

八難 寸口脈が平にして死する者とは何か?

諸々の十二経脈は、皆な生気の原に係る。所謂、生気の原とは、十二経の根本を謂う。腎間動気を謂う。これ五蔵六府の本、十二経脈の根、呼吸の門、三焦の原、一名守邪の神。故に気は人の根本也。根が絶するときは則ち茎葉は枯れる。寸口脈の平にして死する者は生気が独り内に於いて絶する。




中国医学の身体論 古典から紐解く形体 浅川要著 東洋学術出版社 2022年

「『難経』第三十八難の記載やさらにそれを拡大させた『中蔵経』などは、人体のあらゆる気は三焦が総領することを主張するが、これを三焦の機能とするならば、三焦はすべての臓腑の機能を統括していることになってしまう。三焦はあくまで六腑の一つである。」 122ページ



難経は黄帝内経の難解な部分を説明した書といわれていますが、全体的に個性を強く感じます。特に三焦については独自の解釈をされているようです。

膀胱に属し尿の排泄の役目であった一つの府が拡大され、水穀の道路、気の終始する所、原気の別、諸気を主持す、腎間の動気(下丹田)の原気の別使と尊号まで与えられ、さらに名有りて形無く、その府は気街に在り…となっています。

三焦 = 上・中・下焦 = 消化排泄(脾+五府の働き) = 人の生命(腎間の動気)の別使 という感じでしょうか。

黄帝内経(素問・霊枢)に

「六府なる者は水穀を化して津液をめぐらす所以の者なり。」 霊枢・本蔵

「五蔵なる者は皆気を胃に受ける。胃なる者は五臓の本なり。」 素問・玉機真蔵論

とあります。

難経では主に脾+五府の働き(消化排泄)を総合したものを三焦と呼んでる気もします。

素問・六節蔵象論には「脾・胃・大腸・小腸・三焦・膀胱」のセットが出てきます。

「脾・胃・大腸・小腸・三焦・膀胱なる者は、倉廩の本、営の居なり。名づけて器と曰う。能く糟粕を化し、味を転じて入出する者なり。其の華は脣の四白に在り、其の充は肌に在り。其の味は甘、其の色は黃。此れ至陰の類たりて、土気に通ず。凡て十一蔵、決を胆に取るなり。」 


よくわかる黄帝内経の基本としくみ 左合昌美著 秀和システム 2008年

「『霊枢』経脈篇では、陰の経脈には関係する蔵の名が冠され、陽の経脈には府の名が冠されています。 ~中略~ ところが、これには少し問題があります。 ~中略~ 手の陽の経脈の病症の中には、府と関わるものが全く出てこないからです。 ~中略~ 陰の経脈と蔵の関係以外は、眉に唾をつけておいたほうがよさそうです。」 56ページ


一旦、五行に応じた五臓五府に戻し、陽の経脈からは府の名前を外して、難経の三焦は一つの府でなく「身体全体を三才で捉えた概念から発展させたもの」「脾+五府の働き」「独自の解釈のひとつ」…と考えても良いかもしれませんね。


そして次回は日本へ…



参考文献

営衛と両焦三焦概念の変遷についての考察 日本内経医学会 林孝信

https://dl.ndl.go.jp/view/prepareDownload?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F11497722&contentNo=1

『素問』『霊枢』における三焦概念の変遷  日本内経医学会 林孝信 

http://jshm.or.jp/journal/56-2/56-2_226.pdf 


人体で繰り広げられる表裏の関係 篠原孝市


公益社団法人 大阪鍼灸師会HP 素問霊枢報告 篠原孝市


よくわかる黄帝内経の基本としくみ 左合昌美 秀和システム 2008年

中国医学の身体論 古典から紐解く形体 浅川要 東洋学術出版社 2022年

改訂版 いちばんわかる 東洋医学のきほん帳 伊藤剛著 Gakken 2024年

紅葉


公園の銀杏です。きれいに色づいています(^^)

2025年11月15日土曜日

三焦あれこれ①


三焦は五蔵六府の六府(胆・小腸・胃・大腸・膀胱・三焦)にあります。

五蔵にある心包も含めてこれが何かは現在も諸説あります。


改訂版 いちばんわかる 東洋医学のきほん帳 伊藤剛著 Gakken 2024年

「心包は壇中とも呼ばれることから、心嚢や胸膜の一部のようなもの、三焦は膵臓機能などの内分泌機能を合わせたものと推測されています。」 34ページ

「しかしどちらも現実にある内臓をはっきりと特定できるものではなく、ある意味では数を「六」にするためにつくられた機能を表す用語とも考えられます。」 34ページ


五蔵六府に含まれていない膵臓が三焦にあたるのではないかという説があります。

またリンパや腹膜説などもあるようです。

さらにそ、そもそも数合わせ(六臓六腑)のために創られたのではという説もあります。


下記の参考文献をもとに古典である黄帝内経(素問・霊枢)から三焦の変遷についてまとめました。


変遷

①「三焦膀胱」と言う単独の泌尿器。三焦(収縮・出す)膀胱(膨張・貯める)。

②「膀胱」と「三焦」に分離。膀胱に属す。

③上焦・中焦・三焦(下焦)の三セットの一部に。

④上焦・中焦・下焦のすべてが三焦に。霊枢または太素、難経から。

⑤機能の不明確な名称だけの蔵府に。難経から。

〇十二経脈の三焦は十二蔵府のひとつとされるが泌尿器に関する病証がない。



素問、霊枢から抜き出します(番号は変遷にあてはまるもの)

①腎は三焦膀胱に合す。三焦膀胱は外で腠理毫毛の応。 霊枢・本蔵

肺は大腸、心は小腸、肝は胆、脾は胃、腎は三焦膀胱に合すとなっています
(五蔵五府)。

②少陽(太素、甲乙経では少陰)は腎に属し腎は肺に上で連なる。故に両蔵をひきいる。三焦なる者は中瀆(
夬瀆)の府、水道ここより出づ。膀胱に属す。是れ孤の府なり。 霊枢・本輸

少陰の方がしっくり来ます。肺は大腸、心は小腸、肝は胆、脾は胃、腎は膀胱に合すと、五臓と五腑が綺麗に収まっている中で、余った三焦は膀胱に属されて、さらに孤の府とされています(五蔵六府)。

②三焦なる者は決瀆の官、水道ここより出づ。 素問・霊蘭秘典論

五蔵六府の壇中(心包)が加わり各々の働きについて説明されています。膀胱は
津液を蔵す、気化すれば則ち能く出ず、三焦は水道ここより出ずとなっています(六蔵六府)。

③下焦、溢るれば水(水腫)をなす、膀胱利せざれば癃(小便不通)をなし、約せざれば遺尿をなす 素問・宣明五気篇

③三焦は気を出して、肌肉を温め、皮膚を充し、其の津(陽・衛気)となす。その流まりて(溜まって)いかざる者は液(陰・営気)という。 霊枢・五癃津液別

③④営は中焦より出て、衛は下焦より出ず(上焦か) 霊枢・営衛生会

上焦(全身を周還する衛気の生成)、中焦(経脈を行く営気の生成)

③④下焦なる者は、廻腸に別れ、膀胱に注ぎて滲み入る。糟粕は大腸に下りて、下焦に成る。濾過して膀胱に滲み入る。 霊枢・営衛生会

下焦(膀胱と共に小便の排泄・三焦は下焦に名称変更)

③④上焦は霧の如く、中焦は漚(水に浸す)の如く、下焦は瀆(水道)の如し 霊枢・営衛生会

霊枢・営衛生会にある「三焦の出る所を聞きたい」「中焦の出る所を聞きたい」「下焦の出る所を聞きたい」の「三焦」が誤りで「上焦」であれば「④上焦・中焦・下焦の三セットが三焦」は太素、難経からになる。

〇三焦の病は腹気満ち、小腹(下腹)尤も堅く、小便を得ず。…侯は足太陽の外の大絡に在り、大絡は太陽小陽の間に在り。また脈に見る。委陽に取る。 霊枢・邪気臓腑病形

三焦の病(排尿困難)に足太陽膀胱経の経穴(下合穴)を取っています。


よくわかる黄帝内経の基本としくみ 左合昌美著 秀和システム 2008年

「『黄帝内経』の中ではもともと、膀胱と同様に「水分代謝をつかさどる府」とされています。ただ、この三焦という言葉には「上中下の三つの焦を合わせて三焦」という使われ方があって、ややこしい。上焦からは衛気が出、中焦からは営気が出、下焦からは排泄されるべき水分が出るとされます。「水分代謝をつかさどる府」としての三焦は、この下焦のことのようです。ところが後世、三焦は学者たちにより次第に機能がつけ加えられ、しかも「三焦はそうした機能を総合した抽象的な概念であって、三焦という臓器があるわけではない」などといわれ出して、実は治療家や研究者の間でも侃々諤々です。でも、とりあえず知っておくべきは原初の概念です。」 46ページ


一つの府であった三焦(排尿)と膀胱(畜尿)を分離させた目的は何でしょうか。

霊枢・本輸篇や本蔵篇は六蔵六府説より古い段階(五蔵五府・五蔵六府)で書かれているようです。

五蔵五府から五蔵六府、六蔵六府への変遷は、蔵府や働きが発見され増えたのでしょうか、それとも経脈(十一脈、十二脈)に対応させ理論の整合性を取る為でしょうか。

身体を三つに分けてとらえる概念(三才思想からか)が生まれ、三焦と膀胱は下焦にあてられます。分離されましたが働きは同じままでした。

霊枢・営衛生会、もしくは太素、難経で上焦・中焦・下焦のすべてが三焦となります。

下焦だけの三焦と上・中・下の三セットの三焦をどちらも三焦と呼んだ可能性もあるのでしょうか。

難経ではここからさらに働きも増え、特別扱いされていきます。


ここまで原初の姿をまとめました。次回は後世にあたる難経からです。



参考文献

営衛と両焦三焦概念の変遷についての考察 日本内経医学会 林孝信

https://dl.ndl.go.jp/view/prepareDownload?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F11497722&contentNo=1

『素問』『霊枢』における三焦概念の変遷  日本内経医学会 林孝信 

http://jshm.or.jp/journal/56-2/56-2_226.pdf 

人体で繰り広げられる表裏の関係 篠原孝市


公益社団法人 大阪鍼灸師会HP 素問霊枢報告 篠原孝市

よくわかる黄帝内経の基本としくみ 左合昌美 秀和システム 2008年

中国医学の身体論 古典から紐解く形体 浅川要 東洋学術出版社 2022年

改訂版 いちばんわかる 東洋医学のきほん帳 伊藤剛著 Gakken 2024年

2025年11月8日土曜日

カレンダー


注文した令和8年(2026年)のカレンダーが届きました(^^)
今年もあと2ヶ月ですね。早い。

2025年10月30日木曜日

経絡治療

やさしい鍼治療 臨床70年。「効く」への道しるべ 首藤傳明著 医道の日本社 2024年


「証を決めるとは五臓六腑のうち、どの臓腑経絡が病んでいるのか(虚実)を見つけ出すことです。陰陽のうち陰に焦点を当てましょう。肝臓肝経が弱っている(虚している)のを肝虚証と名づけます。主証は他に、肺虚証、脾虚証、腎虚証と計4種あります。すべての病、症状をどれかに当てはめる、多くの病を四つに分ける。全く無茶ですが、実用的です。」 47ページ


日本の伝統鍼灸というと経絡治療を指すことが多いと思います。

経絡治療自体は昭和初期に生まれたものです。

古典医学(素問・霊枢・難経など)をシンプルに体系化(六部定位脈診+難経六十九難による選穴+浅刺による補寫)したものといわれます。

シンプルで浅刺を中心としたやさしい鍼灸…とても日本的ですね。


創出の過程を調べるとさらに日本的な要素がみえて来ます。

〇古典医学の中には江戸期の日本の文献も含まれていた

〇八木下勝之助翁からの学び

〇全国の江戸時代からの伝統を引き継いだ臨床を行っているという評判の人物のもとを訪ね歩いた

〇小児鍼からの影響

日本人に合った治療を行うには、日本で発達した鍼灸を学ばなければならないという意図があったようです。


もしあの時代に経絡治療が生み出されていなければ、今の日本の鍼灸は大きく衰退していたかもしれません。

今よりも遥かに情報も少ない昭和の大変な時代に創出され、またそれを現在まで受け継ぎ発展させ伝えてくださっている先生方に感謝します。


「年季が入ると指がそこへ行く、指の行きつくところがツボだったということになります。」99ページ


臨床70年の先生の道しるべはありがたいですね…。


参考文献

岡部素道の鍼灸治療 周防一平著 

https://www.jstage.jst.go.jp/article/kampomed/66/2/66_147/_pdf

よくわかる経絡治療講義 大上勝行著 池田政一監修 医道の日本社 2014年 

実践小児はり法 尾崎朋文・山口創・米山榮編集 医歯薬出版株式会社 2012年 

2025年10月29日水曜日

2025年10月22日水曜日

血圧

日本高血圧学会は高血圧の治療で血圧を下げる際の目標値について75歳以上で、これまでより10mmHg引き下げ、上130mmHg(収縮期)、下80mmHg(拡張期)未満に抑える新たな治療指針を発表したそうです。


https://www.yomiuri.co.jp/medical/20250725-OYT1T50208/ 読売新聞オンライン


ただ世界的な基準は上150mmHg(収縮期)くらいだそうです。

血圧については(も?)色々あるようですね…。


https://www.youtube.com/watch?v=MbeTxttVNos&t=611s もりちゃんねる 血圧につ
いて

https://www.youtube.com/watch?v=CK3EcBahb6Q ヒデキとモリヨのお悩み相談 75歳以上の治療目標血圧引き下げについて

2025年10月20日月曜日

赤ちゃん


0ヶ月からのベビーマッサージ&つぼ療法 辻内敬子・小井戸喜彦著 技術評論社 2005年


「刺激は強いほうが効果があるように感じられる方が多いかと思いますが、弱い刺激だからこそできることがあり、見えてくることもあります。」 13ページ

「東洋医学は、皮膚へのほどよい刺激が、自律神経、ホルモン、免疫に働きかけ自然治癒力を高めることを、マッサージなどの手技療法や鍼灸として発展させ、病気の治療や予防に活用し続けてきたのでしょう。」 21ページ


小児への心得、施術は、大人に対する治療や東洋医学の基本としても重要なものが沢山含まれていますね。

2025年10月18日土曜日

道教と中国医学


道教と不老長寿の医学 吉元昭治著 平川出版社 1989年

道教は後漢の終わり頃に起こったとされる宗教です。道教に中国医学が取り入れられたり、中国医学も道教の影響を受けてきたようです。


「この『黄帝内経』素問の初めをかざる一文こそ、道教と深いかかわりがあるのではないかと考えたのである。しかし、今までの多くの『黄帝内経』についての書をみても、この点に注意を払い、解釈しているのは、皆無に等しい有様であることもわかった。」 2ページ


素問の初め上古天真論には「昔々、黄帝は  ~ 天に登っていった」とあります。これを道教の視点からみると、仙人となって天を自由に駆け巡り不死身となった(不老不死)と解釈できるそうです。


「時の唐朝が道教を崇めたことから、この王冰は、私は道教徒であったと思っている。」 242ページ


現在に伝わる素問は南北朝時代(439~589年)の
全元起によって注解が施され、唐代(618~907)中期に王冰 (おうひょう)が編纂(再編・注解)したものを、宋代(960~1279年)の林億らが校正を加えたものです。

そして王冰は道教的な表現のある上古天真論を巻首にもってきたそうです。



「華佗の名は、その発音からして、古代ペルシャ語ににているので、彼は西域人ではなかったかという説もある。ヘロドトスの『歴史』をみても、スキタイ人は、麻薬のようなものを使用していたらしいから、かの麻沸散もこのようなルートがあったかもしれない。」 228ページ


華佗(かだ・~208年)は鍼灸や薬の処方に詳し
く、麻沸散と呼ばれる麻酔薬を使って世界で初めて腹部切開手術を行ったといわれています。
また五禽戯(ごきんぎ・虎・鹿・熊・猿・鳥の動作を取り入れたもの)という導引(体操・気功)を作ったとも言われています。

秦の始皇帝(前259~前210)はユダヤ人だったという説もありますが…それは置いといて、最近は従来考えられていたよりもずっと早い時期から西洋と交流があったという説も出てきているようです。


奇経八脈考を著した李時珍(1518~1593年)も道教に近い人だったようです。奇経には道教でも重要視される任脈、督脈が含まれています。



「中国医学に与えた影響は、道教だけとみるのも誤りで、西域の影響、仏教の力も大きく作用したことを見逃してはならない。」 15ページ


隋書・経籍志(隋・581~681年)にはインドの龍樹や耆婆(ギバ)の名を関した薬方などの書があげられているそうです。

インド医学と中国医学、ヨガと道教などの考え方もそれぞれ近いものがあります。これらの関係も興味深いですね。
 


道教にある三尸(さんし)九虫(きゅうちゅう)は人間を監視、コントロールしたり病気をおこすとされる想像上の虫や寄生虫などです。 

そういえば猫から感染したトキソプラズマという寄生虫が人間をコントロールしているかもという説がありました。

日本の戦国時代に書かれた針聞書(茨木元行・1568年)という本には独自のユニークな虫が描かれています。小児の疳の虫(かんのむし)は有名ですね。

2025年10月13日月曜日

おやつ


ミレー ビスケット オレ 

まじめなおかし(^^)

2025年10月5日日曜日

ことば


「人と違った考えを持つことは一向にかまわないさ。でも、その考えを無理やり他の人に押し付けてはいけないなあ。その人にはその人なりの考えがあるからね。」

「誰かを崇拝しすぎると、ほんとうの自由は得られないんだよ。」


今回はスナフキンのことばでした(^^)

2025年9月27日土曜日

道教と中国医学

図説 道教医学 吉元昭治著 勉誠出版 2018年


道教の経典には様々な中国医書が収められているそうです。王羲之(おうぎし)の書でも有名な「黄庭経」の中には鍼灸経穴名と同じ名が出てくるそうです。


「経絡方面から見ると任脈が最も多く、督脈がこれにつぐ。すなわち正経十二経ではなく奇経八脈の穴名が多い事が分かる。こらは何を意味しているのか。任督脈の奇経八脈は道家でも重視していて、この頭から下腹部までつながるルートは内丹術でいう精気神のルートでもあり陰陽昇降のみちでもある。  ~中略~ 

『黄庭経』と『黄帝内経』が極めて近い関係にあるといえよう。前者が内丹、後者が鍼灸を初めとする中国医学の臨床、基礎の出発点である事を思えば『黄庭経』の中に『黄帝内経』の骨組みがある事をみつけるのもまた容易である。」 191ページ

「『黄庭経』は『黄帝内経』と似ている処があり、後者を下敷きにして、宗教的ヴェールで掩ったものともいえる。」 192ページ


奇経八脈のうち「素問・霊枢」に任脈、督脈、衝脈、帯脈は出てきますが、奇経八脈という名称と八脈すべてが登場するのは「難経」からでしょうか。ただ個人的には「難経」に書かれている経絡が溢れた時の放水路という説明はいまいちしっくり来ません。

奇経治療に使う八総穴は、これを伝えた金元時代の竇漢卿(とうかんけい・1196~1280)によると「河南の小室山の隠者が伝えたもの」で竇漢卿は若い頃にその本を貰ったとあります。


本書では、道士または医師で道教に近い人として

岐伯 扁鵲 華佗 皇甫謐 葛洪 陶弘景 孫思邈 王冰 

などが取り上げられていました。道教では医術や経絡なども独自の解釈がありそうですが、中国医学と道教の関係は深いですね。


参考文献 現代語訳 奇経八脈考 李時珍著 王羅珍・李鼎校注 東洋学術出版社

2025年9月21日日曜日

ことば



「自分以外の人間になりたいと願いながら、人生を送るのは耐え難い」

「なぜわたしたちはこの地上に置かれたんだとおもう? 他人をしあわせにするためさ」

「与えることだよ、ただ一つのホントの喜びは与えることだ」


今回はチャーリーブラウンのことばでした(^^)
上手く描けた 笑

2025年9月14日日曜日

経筋(けいきん)あれこれ

線維筋痛症は針灸治療で治せる 西田皓一著 たにぐち書店 2008年


「東洋医学から見ると線維筋痛症の原因は「経筋病」であるので、経絡の考え方特に経筋(東洋医学から見た筋肉学)と、それに若干の東洋医学の「臓腑学」を考えにいれると、これらの症状はすべて説明がつき、十二経筋上の経筋病巣(筋肉の中に出来た病巣)に針灸治療をしてやると症状は消失または軽減する。」 12ページ


経筋は鍼灸の古典である霊枢(経筋篇十三、紀元前200年~紀元後220年頃)に記載されています。手足の末端から始まる縦につらなる筋(筋肉)の流れ(十二本)として示されています。


「霊枢概要」神麹斎(左合昌美)著 ヒューマンワールド には

「そもそも「筋」とは何か。古代医書中にあっては極めて含意が広い。筋腱、肌肉、静脈、神経などがいずれも筋と呼ばれていた。つまり上下に連なる紐ないし帯状の組織の連なりはすべて筋系と言える。」86ページ

筋肉だけを指すのではなく腱、靭帯、血管、神経なども含めた複数の筋の連なり、流れとして捉えていたようです。

そして、この経筋の病に対する治療法として霊枢には「焼き鍼(燔鍼・はんしん)を使い速刺速抜(速い抜き刺し・劫刺・こうし)で効果が出るまで刺す(以知為数)」また「痛をもって輸(兪・ツボ)となす(以痛為輸)」と記載されています。

焼き針(燔鍼・火鍼)は針先を火であぶり熱して刺す方法です。

痛をもって(痛いところ)は自覚的または他覚的(押して痛い)の両方でしょうか。他覚的に痛いところは阿是穴(あぜけつ)とも呼ばれています。

痛みのあるところや、想定される流れのルートから圧痛部(押して痛いところ)を探し鍼やお灸をすえるという方法は鍼灸治療の原点を思わせる方法です。


「霊枢概要」神麹斎(左合昌美)著(ヒューマンワールド)

「経筋の主要な治療手段が燔鍼劫刺であると言っても、経筋治療のはじめからそうであったとは考えにくい。馬王堆脈書において、足臂十一脈では灸というが、陰陽十一脈には実は灸とは指示されていないことを記憶すべきであろう。つまり足臂十一脈が発展して経筋となり、熱療法としての灸を改良して燔針劫刺としたのかも知れない。」86ページ


「足臂十一脈灸経」と「陰陽十一脈灸経」は中国の馬王堆漢墓から出土(1973年)された医書です。霊枢よりも古い時代のものとされ、霊枢の経脈篇の前身であるとも考えられています。ただ経脈篇の内容は(他のルートからの知識も合わさってか)ここから大きく変化し十二本の脈が輪のように一本に繋がります。

足臂十一脈と経筋篇は共にすべて四肢末端から体幹に向かうルートになっています(陰陽十一脈は二本のルートが逆方向)。霊枢の中のいくつかの篇にも「「五輸穴」など末端から肘膝に向かうルートや十一本のままのものも残っています。

現在の中医学(現代中医学)で経筋は経絡の概念の中の一つで、経絡が養う筋肉系統とされています。ただ十二経脈や十五絡脈などの流れの上にさらに別の流れを無理に重ねるより、経脈篇成立以前の足臂十一脈を受け継いだ、より古い内容(ルートと治療法)を伝えくれていると考えた方が納得できます。


「改訂版 東洋医学のきほん帳」 伊藤剛著 Gakken 

「最近、西洋医学の分野で、マイヤースによる筋筋膜経線(アナトミートレイン)という考え方が提示されています。筋筋膜経線とは、骨格周囲につく筋筋膜により緊張と運動を伝達する張力のひものようなものです。~中略~ そして、驚くことに、この筋筋膜経線で示された筋肉のつながりは、経筋で示されたものとほぼ同じなのです。二千年以上も昔、解剖学も生理学も発達していない時代に、経筋という身体のシステムを発見していたことになります。」 124ページ

アナトミートレイン=経筋かという問題は置いといて、最近はファシアというのも経絡の正体ではと話題になっていました。さらに数年前に騒がれていたトリガーポイントは痛をもってツボとなす(以痛為輸)阿是穴の考えと同じです。

二千年以上前の古代人の知恵が今の発見と少しずつ繋がって来たのでしょうか…。


参考文献 古典から学ぶ経絡の流れ 浅川要著 東洋学術出版社

2025年8月27日水曜日

線維筋痛症 


線維筋痛症の診断と針灸治療 西田皓一著 ヒューマンワールド 2012年


著者は高知県にある西田順天堂内科の先生です。

線維筋痛症は今も原因が不明とされている難病です。

その症状は広範囲の疼痛、こわばりと多彩な随伴症状がみられることが特徴です。
随伴症状には、全身症状(疲労感、倦怠感、微熱、寒さ、動悸、めまい、ほてり、しびれ)、うつなど精神神経的な症状(不安感、睡眠障害など)、頭痛、乾燥(眼や口)、胃腸症状などがあります。

治療は疼痛治療薬(プレガバリン)や抗うつ薬(うつ症状の改善目的ではなく痛みの緩和のため)、睡眠薬などで、原因が不明の病気であることから根治のための治療法は残念ながらまだ無いそうです。

西洋医学と東洋医学を併用されている著者からすると


「線維筋痛症の場合、あらゆる治療にも治療効果が見られないが、針灸治療することによって即座に患者に治療効果が得られる。」 26ページ


西洋医学の治療では効果が見られないが、鍼灸治療により効果の得られる疾患ということです。


「東洋医学独自の治療手段があり、効果機序が違っている。だから現代医学では難病であっても、東洋医学の治療手段で病気を治すことができるのである。」 13ページ


本書では線維筋痛症を東洋医学(中医学)の考え方にある「経筋病」と捉えて治療されています。

中医学(現代中医学)では経筋は経絡(けいらく)の概念の中の一つで、経絡の中の経脈が養う筋肉系統と考えられています(諸説あり)。鍼灸の古典である霊枢(れいすう、紀元前200年~紀元220年頃)には十二本の流れの経路や治療法などについての記載があります。

「東洋医学から見ると、難病を起こす病因には、瘀血、寒、湿、虚、気(精神的緊張)などがある。これらの概念は現代医学にはなく、またそれらの病態を知る診断手段もなく、その上にこれらの病態を治す治療手段もない。だから現代医学では治らない病気を、東洋医学の治療手段で治すことができるのである。」 15ページ


著者の永年の観察によると線維筋痛症は精神的なストレスが誘因となって起こっているそうです。

精神的緊張、ストレス(内因・七情)→ 気の鬱滞 → 経絡の停滞 → 気・血・水の巡りが悪くなり痛みが起こる(不通則痛)→ 鍼灸(霊枢・経筋篇では燔鍼・焼き鍼のこと) → 気血が巡り、痛みが去る(通則不通)

また線維筋痛症と慢性疲労症候群は病名は違っているが、どちらも同じ経筋病にあてはまるそうです。

線維筋痛症(強い筋肉痛、とくに頚背部に硬直、痛み) 
慢性疲労症候群(全身の倦怠感、筋肉の機能低下) 


霊枢・経筋篇には(霊枢 新釈 小曽戸丈雄著 たにぐち書店 より)

「一般に経筋の病は、寒によっておこったものは、そりかえって筋が痙攣する。熱によっておこったものは、筋が弛緩して収縮しなくなる。 ~中略~ これらの治療に焼針を用いるのは寒邪によって経筋がひきつれたものを治すのが目的である。従って、もし熱邪によって経筋が弛緩し収縮できなくなったものには、焼針を用いてはいけない。」

と寒・熱による症状の違いと治療法の適不適についての説明があります。


線維筋痛症の原因はまだよく分かっていませんが、痛みを脊髄から脳に伝える経路(上行性経路)の興奮、さらに脳から脊髄を下り痛みを抑える経路(下行性疼痛抑制機構)に障害が起こることにより、痛みの感度が増幅されてしまう(痛みの中枢性感作)ことが原因と考えられているそうです。

線維筋痛症の患者に疼痛緩和の目的で処方されている抗うつ薬はこの下行性疼痛抑制系(ノルアドレナリンやセロトニンの増加)に働きかけ痛みを抑えるものです。

実は鍼灸の刺激によっても、痛みが脊髄から脳に伝わるのを抑制したり(上行性疼痛抑制機構)、さらに脳から脊髄に下行し痛みの伝達を抑制する働きを賦活させる(下行性疼痛抑制機構)ことが科学的に解明されています。

ちなみに鍼灸によるその他の鎮痛メカニズムには、脳からモルヒネ様物質(エンドルフィン、エンケフェリンなど)が分泌されたり(神経伝達物質性疼痛抑制機構)、血管を
拡張させ発痛物質の停滞を解消させる…などがあります。

2025年8月23日土曜日

2025年8月17日日曜日

大師流 小児はり

子供を笑顔にする鍼治療 谷岡賢徳著 22世紀アート 2024年


小児鍼は独特な鍼(刺さないハリ)を使い皮膚に軽い刺激を与える治療法で、江戸中期ころに大阪で考案されたといわれます(諸説あり)。大正、昭和中期にかけては主に関西方面で大変に隆盛したようです。

使用される鍼には色々なものがありますが、この大師流では刺絡に使う三稜鍼の先を鈍化させたものを小児鍼として使用されています。

初代は谷岡捨蔵(明海)(安政4年(1857年)~昭和6年)で、著者の谷岡賢徳先生は三代目にあたられるそうです。


「大師流の初代明海は、「突き刺す三稜鍼を、刺さずに、後方に引いた」のである。この発想の転換が、剛鉄を羽毛に変えたのである。さらに、鍼先に中指頭を添えて施術した。」   73ページ

「大師流の小児鍼は、決して弱刺激ではない。むしろ強刺激の部類に入る。羽毛の快感に惑わされてはいけない。」 74ページ

「小児鍼の中でも、1~2を競うほどの強刺激だと思います。だからこそ短時間で、著効がだせるのです。」 234ページ


三稜鍼を使い、羽毛のような心地よい刺激でありながら、短時間で効果がだせるというのが大師流の特徴でしょうか。


「発赤・発汗を目標としている小児鍼は、どちらかと言えば、深部ではなく表面の皮膚に重点的に刺激を与える種類の小児鍼だと思います。だから発赤・発汗しても深部にあまり刺激が残らないため、刺激過敏になりにくいのかもしれません。」 234ページ


一般的な小児鍼では、施術部の発赤・発汗が適量の目安とされています。大師流では主に皮膚の変化(硬い、柔らかい)を基準にされているそうです。

発赤・発汗を目標としている小児鍼は、深部に働きかけづらい面(または時間がかるか?)があるとのことです。ただ、勿論それぞれに良い面もあると思います。

家伝の鍼として伝えられていた貴重な技術を広く公開され伝えて下さるのは本当にありがたいですね。

また、この心地よい刺激で深く働きかけることができるという小児鍼の発想は、浅刺を中心に使う日本鍼灸の一大流派である経絡治療などにも受け継がれているようで興味深いです。

2025年8月10日日曜日

2025年7月30日水曜日

発達障害


発達障害は改善します 宇土博著 ガリバープロダクツ 2018年

「標準 鍼灸治療学」水嶋丈雄著に「まったく新しい経絡を解説されその効果には驚嘆する」と紹介されていたので購入してみました。

発達障害について調べると、病気ではなく生まれ持った脳の特性・特徴と捉えたり、色々な考え方あるようです。


「新経絡治療は、脳に関する手足のツボ(経穴)を刺激することによって脳の血流やブドウ糖代謝などを活性化させ、脳神経の微細な損傷や結合回路の機能を調整・修復し、発達障害の全般的な症状を改善するものです。」53ページ

ここで言う経絡治療は昭和初期に生まれた鍼灸流派のことではなく、「経絡を使った治療法」という広い意味のようです。本書では発達障害の説明と症例の紹介を中心に書かれていて、この新経絡治療に関する具体的な説明はあまりありませんでした。

以下、説明の部分からまとめると…

2006年に経絡治療を理論化・統合化して「新経絡治療」を体系化 。 

手三里・合谷に2Hzの鍼通電を15分。脳の血流増加とブドウ糖代謝が活発に。

脳に関連する、腎経・膀胱経のエネルギーの流れが詰まり発達障害の症状を引き起こしていると考え、この詰まりを軽減し改善させる。

肺、心包、脾などの詰まりの部位によりツボを選び、ていしん(刺さない鍼)で刺激。


また「標準 鍼灸治療学」水嶋丈雄著には、

主経絡の井穴か原穴に皮内鍼を入れ連絡している経絡上の指をくるくる回すのが特徴

とありました。具体的な方法はわかりませんが、独自の方法で発達障害などの症状に効果を出されているとのことです。

 佃煮


イワシの佃煮で一杯。

2025年7月18日金曜日

胸脇苦満(きょうきょうくまん)


標準 鍼灸治療学 水嶋丈雄著 東京図書出版 2023年

中医学、経絡治療を中心に長野式、良導絡、、トリガーポイント、小野式首周六合新診、山元式…など代表的なものをそれぞれ採用しながら、自律神経などの考えを中心にまとめられている印象でした。

腹診で不通をみとめた時(奇経治療)

「また腹診で胸脇苦満を認めた場合には寺沢点(玄癖)、心下痞には天宗の外側0.5寸(斉天宗)、胸脇苦満には胸椎7~8間膵兪の夾脊を用いる。心下痞や左胸脇苦満はノルアドレナリンの高値が知られている。つまり玄癖はノルアドレナリン(パニツク障害)の抑制点である。これは傷寒論が原点である。」 53~54ページ

寺沢点(玄癖)はネットで調べると天宗の外側1寸とあります。みぞおちから季肋部にかけての詰まりと肩甲骨下部(棘下筋・手太陽小腸経)、またホルモン(ノルアドレナリン・緊張、不安、恐怖など)との関係など興味深いです。
傷寒論(後漢末期から三国時代に編纂された古典)が原点であるというのは、胸脇苦満とその治療ということでしょうか。

2025年7月11日金曜日

ポーチェラカ


今年はオレンジにしました。
毎日、花が閉じたり開いたりするのがいいですね!

2025年6月29日日曜日

ひらつか 七夕まつり


今年の七夕まつりは4日からですね。

久しぶりにかき氷屋を出しました~♪あと射的とりんご飴、たこ焼き屋さんもあります。
全部出店できるかな~?

2025年6月28日土曜日

ビーノ


ビーノで一杯。お酒は菊正宗の銀です。

2025年6月21日土曜日

理論と統一


東洋医学 鍼灸ジャーナル 2008年7月号 緑書房

忘備をかねて気になったところのメモです。


松田博公・対談シリーズ「日本鍼灸を求めて」 第3回  

松田 『素問』・『霊枢』には、触診をちゃんとしろという記載がありますよね。そういう意味で現代中医学は、触診を無視し過ぎている。中国では『素問』・『霊枢』以降の発展段階で、図式的、観念的要素が強くなったんだと思います。パターン化した理論図式に当てはめて理解するのが、中国人の強固な固有思想ですから。現代に至って、中医学は西洋医学の影響を受けてさらに理論を精緻化させ、図式化をいっそう徹底させた。日本人は、逆に縄文時代から理論不信で、触ってみないと信じない。それこそ、ごちゃごちゃ理屈を言うな、という実感主義ですね。  55ページ

中国は「理論」と「とにかくなんでも統一(図説マルマ 伊藤武著より)」することが好きなようです。

例えば現在の中医学では経絡の概観として十二経脈、十二経別、奇経八脈、十五絡脈、十二経筋、十二皮部があるとされています。最初の十二経脈の流注(ルート)だけでも複雑です。古典である素問・霊枢は一人の著者が書いたのではなく論文集と言われています。色々な考えを無理に統一してしまった面があるのでしょうか…。

単純化していく、あるいは曖昧なまま捉える日本とは対象的ですね。


愚解経脈論 基礎編(3) 木田一歩著 90、91ページ より

絡脈について、中医学では経脈の絡穴から分れる支脈で、表裏二脈の経絡を連絡、強化するとされ、その大きなものを大絡(十五絡脈)と呼び、さらに表面に浮いたものを浮絡、最小のものを孫絡と呼んでいます。

こちらでは絡脈と十五絡脈は別のルートと考察されています。

「経脈、絡脈、孫脈の各名称は、臓腑より出入りして四肢あるいは頭部に走行していく流注における走行の脈の深さを表す記号」


一番内側を経脈、その外側に絡脈、さらに体表近くが孫絡で臓腑から発した胃の気の密度(湯気のように体表に近づくにつれ疎になり拡散していく様子、胃の気の密度)を表しているのではと説明されています。



ドキュメンタリー「近代鍼灸史」③ 油井富雄著 81ページ

明治から昭和にかけて活躍された鍼灸師の沢田健先生(明治10~昭和13年)と竹内文書の影響について紹介されていました。こちらも興味深い内容でした。