2022年10月8日土曜日

日本鍼灸


日本鍼灸へのまなざし 松田博公著 ヒューマンワールド 2010年

著者の松田博公先生は元通信社の編集委員で、鍼灸師の資格をとられ「鍼灸ジャーナリスト」と名乗られて活躍されているそうです。本書では日本の鍼灸と中医学などの重要な問題が鋭く指摘されていました。

「専門学校の『東洋医学概論』には、中医学と経絡治療とが説明のないまま混在し、混乱の種となって学生の理解不能を助長しています。この様相は、日本の鍼灸界が独自に打ち立てるべき〈日本鍼灸学〉を持ち得ていない事の象徴です」 354P


日本の漢方(漢方薬・鍼灸)は、明治の政策で西洋医学が正統医学とされ、それまで主流であった漢方医学は医療制度外に位置づけられてしまいました。

さらに鍼灸は戦後にGHQが禁止させようとする動きがありました。しかし鍼灸関係者や学者などからの強い働きかけにより撤回され、昭和22年に現在の「あん摩マッサ ージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律」に直結する法律が制定、 その後の昭和63年には、厚生大臣免許(現厚生労働大臣免許)となり、危機を乗り越え今日に至っています。

現在の日本の鍼灸学校の教科書『東洋医学概論』に混在している、昭和初期の鍼灸復興期に古典をもとに新たに生まれた「経絡治療」自体にも問題があります。


「昭和10年代の鍼灸復興期には「古典に還れ」の気運の中で江戸期鍼灸文献の研究も行われた。柳谷素霊や井上恵理らも、古典とは『素問』『霊枢』『難行』だけでなく、江戸の鍼灸書も含むと考え、乏しい資料を探し出して筆記し、ガリ版刷りの私家版を出す作業をこつこつとした。しかし、戦後の昭和20年代になると、古典派を自認していた経絡治療家は、「脈診+『難行』69難の配穴+浅刺」というシステムに固着し、多様な理論とわざが混在していた江戸期鍼灸への関心を失う。同時期に台頭した科学派も、伝統鍼灸への関心はなく、江戸期文献研究は忘れられた領域になる。経絡治療派も科学派も、歴史や伝統への視点を失い、観念化、イデオロギー化したのである。」 13P 下段注 


江戸から明治になり西洋医学中心に変わった変化の時代から、戦中・戦後という大変な時代を支えてくれた方々のお陰で、今の日本の鍼灸があります。ただ鍼灸(漢方も)の歴史の中でこの時に失われてしまったものもまた大きかったといえます。


これよりやや前後の時代、中国大陸では伝統医学が日本以上に危機的(壊滅定)な状態にありました。さらに1949年に中華人民共和国が作られた後は大躍進政策、文化大革命と中国国内自体の悲惨な状況が続きます。

そして1972年に日本と中国の国交が回復し、中国ではこの1970年代から国家主導で中医学を作り始めます。日本の鍼灸学校の教科書に混在している、この「中医学」の問題も。


「『素問』『霊枢』段階から現代中医学までをすべて「中医学」と呼び、現在の視点で過去を強引に解釈する非歴史的な捉え方もやめてほしい。現代中医鍼灸学は、1970年代に全国から老中医を集めて理論と技の収集、整理を行い、国家主導でまとめたものである。重要なのは、現代中医鍼灸学が古代鍼灸とどう違い、何が発展し何が退歩したかを明確にすることである。古代鍼灸を再解釈するにあたって、現代中国の官許の思想、史的唯物論はどう作用したかの検討なしに、現代中医鍼灸学は、古代鍼灸学を引き継いでいるなどと言ってもらっては困る。

ウォルガー・シェイドやエリザベス・スーなど、中国医学を専攻するヨーロッパの医療人類学者は、現代中医学の「腎」や「神」などの概念は、西洋医学の影響下に作り直されたもので、本来の伝統医学概念ではないと考えている。シェイドは「中国医学の思想は、むしろ日本の東洋医学にある」とさえ言う。現代中医学のシステムがどのように構築されたか、論争含みのその過程の報告書は、北京の書店の棚には見当たらない。それは政治的な秘事であり、この問題に触れることを中国の中医師は敬遠するだろう。だから、日本の中医学派がやるべきである。」 15、16P 下段注


以前にも書きましたが、現代中医学は学べば学ぶほど理解できなくなります。私だけ?かもしれませんが…(--;)

https://ohisama-hari.blogspot.com/2022/01/blog-post_22.html


現代中医学は「1970
年代に全国から老中医を集めて理論と技の収集、整理を行い、国家主導でまとめたもの」とされています。ただ、この現代中医学がどのような意図で構築され、まとめられたのかについては政治的な秘事で公開されていないということです。

また「老中医を集めて」とありますが、当時の中国の歴史的な状況(大躍進政策、文化大革命後)からすると中国医学をしっかり学んでいた老中医がどのくらい残っていたのかも謎です。さらに現代中医学には西洋医学の影響もみられるということです。


「西洋医学に対して、中医理論はもともと異質なものであり、その異質なところが中医学の価値が存在するところであり、また中医学が存続してゆく基盤でもある。ところが、多くの中医学研究者は、西洋医学の理論と方法を基準にして、西洋医学への同化を目標にしてきたために、両医学の概念を混同し、中医学理論体系を大混乱に陥れたのである。中西医結合研究を最高目標にしているかぎり、中医学理論は解体してしまう(中医臨床 19976月 東洋学術出版社)」傳景華氏(中国中医科学院の研究者) 196P


中医学は毛沢東の目指した新たな医学である「中西医結合医学」の影響も大きいようです。


「現代中医学の弁証論治原則、とりわけ論治の原則には、かなりヨーロッパ医学の影響が入り込んでいる。これは現代中医学理論が、主に「中西匯通(かいつう)派」といわれる中西折衷的な医家たちの思考のなかで育まれ、新中国の「中西医結合」のさまざまな試みのなかで、さらに多くのヨーロッパ医学的まなざしと混合していったからである。」(中国医学思想史 石田秀実著 東京大学出版社)」 196P 下段注


弁証論治は東洋医学の診断および治療法を決める上での方法論のことです。中医学のなかで特に違和感を感じるひとつがこの「弁証論治」でした。


「譚源生氏は、薬性に倣って鍼灸の穴性を標準化するのはおかしいと主張する。雑誌『中医臨床』(東洋学術出版社)の2008年12月号から3回にわたって翻訳掲載された譚氏の評論「弁証論治形成の謎を解く民国地代の鍼灸学」の内容は、次のように要約できるだろ。

「薬の処方と鍼灸の施術とは理論も方法も異なる、薬性と同じ論理で穴性を考えるのは正しくない。また中医学の弁証論治を鍼灸に当てはめるのも間違っている。中華民国時代の科学的鍼灸学の登場とともに、鍼灸の中医薬への隷属が始まった。鍼灸は『霊枢』に還り、鍼灸本来の経穴の理論と弁証論治を作りださなければならない」

「日本では、中医薬の弁証論治がそのまま鍼灸に適用できるのが現代中医鍼灸のメリットだと語られることもあるが、中医学内部の論争がその根拠を崩すかもしれない。」 17P 下段注


弁証論治は鍼灸でなく中医薬(日本でいう漢方薬)の理論を鍼灸に取り入れたもので、さらにこの弁証論治はじめ中医学は西洋医学をも取り入れてるということです。

中医学も変遷を重ねて徐々に現在の形に纏まってきたようです。この中医学の情報が日本に入りだしたのは比較的最近のことだと思います。

今まで本書に書かれているような中医学の問題は鍼灸専門誌などで一部の方が指摘されるくらいで、ほとんど語られて来なかったのではないでしょうか。

この中医学が日本の学校で無批判に採用され、教科書も年々この中医学の影響が強まっているそうです。


「日本の鍼灸学校を席巻しつつある中医学派も、「これは中国国家中医薬管理局公認の由緒正しいシステムである」と権威に寄り掛かっているだけでは済まないはずです。自分たちが教えている教科書的中医学は、『素問』『霊枢』など医学典籍からの数々の引用文で飾られているとはいえ、中医学内の古典派の眼から見れば、西洋医学に侵食された、中国伝統鍼灸ならぬ「現代中医学」なのだという認識を持つべきでしょう。そこから〈原型〉としてのもともとの古代鍼灸、伝統鍼灸とは何かを追求する視点が開け、教科書の見解から離れた古典読解の道に踏み込むことが可能になるはずです。」   198P 


現在、中国の覇権主義が世界的にも懸念されていますが、この覇権主義は東洋医学、鍼灸の分野でも進められていて、中国は世界の鍼灸を中医学一色に染めようとWHOなどにも働きかけているようです。

日本の鍼灸学校が、どうしてこんなに中医学に傾倒し安易に取り入れててしまっているのかわかりません。

日本の歴代の鍼灸関係者が、命懸けで書物を手に入れ学び、技術を磨き発展させ、時に危機を乗り越え守ってきたものこそを大切にして欲しいと思います。