2023年2月14日火曜日

漢方の歴史


あじあブックス 漢方の歴史 大修館書店 小曽戸洋著 1999年  新版 2014年

鍼灸学校時代に北里大学東洋医学総合研究所へお邪魔させていただいた時に書いて頂いたサインです。


漢方」というと一般的には「漢方薬」の意味で使われることが多いですが、中国から伝来した医術(漢方・鍼灸など)の意味でも使われます。こちらの本は漢方薬と鍼灸について、中国と日本それぞれ「漢方、鍼灸の書物を中心」とした通史について書かれています。

通史と直接関係ない部分の情報や指摘にも貴重な内容が豊富でした。

「西洋の薬学は、生薬単味からさらに単一の有効成分の抽出へと努力が積み重ねられ、それがわかれば次には天然物成分の化学的合成、そしてドラックデザイン(新薬の開発合成)への方向に突き進んだ。」 新版 49ページ

「漢方薬は実際には複数の生薬を組み合わせた処方の単位で患者に投与される。一つの処方(ユニット)に固有の性格(個性)づけをする考えは、中国伝統医学(漢方)のみにみられる特徴である。 ~中略~ 一つでも欠けたり、余計なものが加われば、処方の性格(薬効)が変わってしまうのである。」 新版 84、85ページ

「…漢方では何千年の経験を通じ、単体ではさほどの効能はなくとも、特殊な組み合わせ(ユニット)の工夫によって、格別の薬効をもつ処方が作れることを発見したのである。」 新版 88ページ

さらに同じ薬物構成であっても、単一の薬物の加工法(修治)、また煎じ薬か、丸、散、膏、酒漬(剤型)などによっても抽出される成分は異なり、薬効もまた別のものになるそうです。

また後漢(1~2世紀)に成ったと推定されている漢方の古典「神農本草経」(しんのうほんぞうきょう)に記されている薬効が、現在でも薬学の成分、薬理研究上で参考にされているそうです。

漢方医学は人間の身体の反応をもとに体系化された経験医学と言われていますが、まだ科学の未発達な時代に、組み合わせや加工法などを探り、格別な薬効を発見してきた古代の人々の知恵は不思議でもあり凄いですね。

ちなみに「神農本草経」の神農とは、古代中国の牛の頭をした伝説上の三皇の一人とされ、人々に農耕を伝え野山を歩き、草木かじり一日に70回もの毒にあたりながら、数々の薬草を発見したと伝えられ、医祖神・薬祖神とされています。日本でも江戸時代から医薬の始祖として漢方医家や薬問屋の守護神とされ崇敬を集め、また商業神としても各地に祀られているそうです。



陰陽五行説は中国医学の古典の原点である「黄帝内経」が編纂された中国古代の戦国時代(紀元前400~200年)頃にあった思想(科学)です。

「この陰陽五行説は、とくに現代中医学や日本の針灸医学界において多くの人々の支持を得、あたかも絶対的真理であるかのごとく論じられ、実際の臨床でも行われている学説である。しかしことに五行説に至っては、細部において牽強付会な点も多い。うがった見方をすれば、どのような詭弁も弄せるという面も否定できないであろう。これはあくまで生理・病理・薬理を理解するための臨床における便宜上の考え方であって、絶対的真理ではないことはいうまでもない。」 新版 65ページ

もともと陰陽説と五行説は個別の学説でした。左合昌美先生の「よくわかる黄帝内経の基本と仕組み」にも書かれていたように、黄帝内経の頃にはゆるめに当てはめられていたものが、いつしか杓子定規に絶対的真理のようになってしまい、臨床経験の実際よりも理論が先行、重視されてしまったのでしょうか。


鍼灸医学には体表に表れる動脈を観て、身体の状態を把握する様々な脈診法が伝わっています。その中に昭和初期頃に中国古典を参考に創出された経絡治療などで行われている「六部定位脈診」と呼ばれる脈診法があります。

「また一部の針灸治療では、六部定位(寸口脈診)と称して、左右の橈骨動脈は拍動部をそれぞれ三分した六箇所の部分を六蔵六腑に配当し、各臓器の虚実を脈診でうかがう方法もとられているが、はたして現実上、特定の部位に特定の臓器のみが常に相関性をもつことなどあり得るのか、この点私は個人的見解から疑問を抱くものである。」 新版 66ページ

日本の鍼灸の教科書には、六部定位脈診の由来や歴史の説明もなく他の脈診方法と並んで唐突に書かれ教えられていたように思います。日本の鍼灸の教科書は基本的に出典や由来の説明がほとんどなく、日本と中国、時代もばらばらなものが説明なくなんとなくひとつに纏められてしまっている感じがありました(教科書が手元にないので誤解してたらすみません)。さらに今は、中医学(現代中医学)の影響が年々と強くなって来てしまっているそうです…。