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2025年8月17日日曜日

大師流 小児はり

子供を笑顔にする鍼治療 谷岡賢徳著 22世紀アート 2024年


小児鍼は独特な鍼(刺さないハリ)を使い皮膚に軽い刺激を与える治療法で、江戸中期ころに大阪で考案されたといわれます(諸説あり)。大正、昭和中期にかけては主に関西方面で大変に隆盛したようです。

使用される鍼には色々なものがありますが、この大師流では刺絡に使う三稜鍼の先を鈍化させたものを小児鍼として使用されています。

初代は谷岡捨蔵(明海)(安政4年(1857年)~昭和6年)で、著者の谷岡賢徳先生は三代目にあたられるそうです。


「大師流の初代明海は、「突き刺す三稜鍼を、刺さずに、後方に引いた」のである。この発想の転換が、剛鉄を羽毛に変えたのである。さらに、鍼先に中指頭を添えて施術した。」   73ページ

「大師流の小児鍼は、決して弱刺激ではない。むしろ強刺激の部類に入る。羽毛の快感に惑わされてはいけない。」 74ページ

「小児鍼の中でも、1~2を競うほどの強刺激だと思います。だからこそ短時間で、著効がだせるのです。」 234ページ


三稜鍼を使い、羽毛のような心地よい刺激でありながら、短時間で効果がだせるというのが大師流の特徴でしょうか。


「発赤・発汗を目標としている小児鍼は、どちらかと言えば、深部ではなく表面の皮膚に重点的に刺激を与える種類の小児鍼だと思います。だから発赤・発汗しても深部にあまり刺激が残らないため、刺激過敏になりにくいのかもしれません。」 234ページ


一般的な小児鍼では、施術部の発赤・発汗が適量の目安とされています。大師流では主に皮膚の変化(硬い、柔らかい)を基準にされているそうです。

発赤・発汗を目標としている小児鍼は、深部に働きかけづらい面(または時間がかるか?)があるとのことです。ただ、勿論それぞれに良い面もあると思います。

家伝の鍼として伝えられていた貴重な技術を広く公開され伝えて下さるのは本当にありがたいですね。

また、この心地よい刺激で深く働きかけることができるという小児鍼の発想は、浅刺を中心に使う日本鍼灸の一大流派である経絡治療などにも受け継がれているようで興味深いです。

2025年7月30日水曜日

発達障害


発達障害は改善します 宇土博著 ガリバープロダクツ 2018年

「標準 鍼灸治療学」水嶋丈雄著に「まったく新しい経絡を解説されその効果には驚嘆する」と紹介されていたので購入してみました。

発達障害について調べると、病気ではなく生まれ持った脳の特性・特徴と捉えたり、色々な考え方あるようです。


「新経絡治療は、脳に関する手足のツボ(経穴)を刺激することによって脳の血流やブドウ糖代謝などを活性化させ、脳神経の微細な損傷や結合回路の機能を調整・修復し、発達障害の全般的な症状を改善するものです。」53ページ

ここで言う経絡治療は昭和初期に生まれた鍼灸流派のことではなく、「経絡を使った治療法」という広い意味のようです。本書では発達障害の説明と症例の紹介を中心に書かれていて、この新経絡治療に関する具体的な説明はあまりありませんでした。

以下、説明の部分からまとめると…

2006年に経絡治療を理論化・統合化して「新経絡治療」を体系化 。 

手三里・合谷に2Hzの鍼通電を15分。脳の血流増加とブドウ糖代謝が活発に。

脳に関連する、腎経・膀胱経のエネルギーの流れが詰まり発達障害の症状を引き起こしていると考え、この詰まりを軽減し改善させる。

肺、心包、脾などの詰まりの部位によりツボを選び、ていしん(刺さない鍼)で刺激。


また「標準 鍼灸治療学」水嶋丈雄著には、

主経絡の井穴か原穴に皮内鍼を入れ連絡している経絡上の指をくるくる回すのが特徴

とありました。具体的な方法はわかりませんが、独自の方法で発達障害などの症状に効果を出されているとのことです。

2025年1月31日金曜日

感情

やさしい鍼を打つための本 中根一著 医道の日本社 2013年

「東洋医学が内因論を基礎としている理由や、多少の乱れがあっても必ず安定的に自律する陰陽消長を基本概念に据えていること、心だけがポジティブな五志である理由や、刺鍼の「刺」という意味が「チクリとする」という感覚を示しているということ、脈を診る理由や脈を整える理由、そして心身一如である理由も、ようやく見えてきましたね?」56ページ


中国医学では病気になる原因を、外因(気候など環境の影響や感染症)内因(感情)その他の不内外因(飲食、運動、睡眠など日常生活と不測の傷害)の三因から生まれると捉えています。

この考え方は儒教の経典である「周礼」(しゅうらい・前8~11世紀・諸説あり)から中国医学の原点といわれる「黄帝内経」(こうていだいけい・前2から5世紀)に引き継がれ発展し、宗代の「三因極一病証方論」(1174年)で三因論が唱えられました。

内因の感情は七情(怒・喜・思・悲・憂・恐・驚)とされ、臓腑の五行との関係から五志(怒 肝・喜 心・思 脾・憂 肺・恐 腎)に分類されています。

素問(黄帝内経)・陰陽応象大論篇に

天に四時(四季)・五行(木火土金水)あり、以て(四時に対応して)生長収蔵し、以て(五行に対応して)寒暑燥湿風(の気候)を生ず。

人に五蔵(心・肝・牌・肺・腎)有りて、五気(五蔵の気)と化し、以て喜怒悲憂恐(の精神活動)を生ず。

喜怒(などの喜怒悲憂恐の五種類の精神活動)は気を傷り、寒暑(などの寒暑燥湿風の気侯)は形(形体)を傷る。

暴(過度の)怒は陰を傷り、暴(過度の)喜は陽を傷る。

厥氣(逆行する気)が上行し脈(経脈)を満たし(充満し塞ぎ)形(肉体)を去る(離脱する)。

喜怒(などの喜怒悲憂恐の五種類の精神活動)が節制されず、寒暑(などの寒暑燥湿風の気侯)が度を過ぎれば、生(生命)は乃ち固からず(守られない)。

重陰(陰が極まること)は転化して必ず陽となり、重陽(陽が極まること)は転化して必ず陰となる。


とあります。


本書では経絡治療で心虚証の無い理由を、五志の中で心は喜という唯一ポジティブな感情であること考え説明されています。また脈診については、海外の心理学者による研究結果と合わせて解説されていました。


参考文献 

いちばんわかる!東洋医学のきほん帳 改訂版 伊藤剛著 Gakken 2024年

黄帝内経素問序説 西村甲編著 三和書籍 2021年

2024年8月27日火曜日

小児はり


実践小児はり法 尾崎朋文・山口創・米山榮編集 2012年 医歯薬出版株式会社







頓医抄に塵気、肺の病と記載、また腹取様(はらのとりよう)という按摩法、腹診の萌芽が現れる。


室町・安土桃山時代

実在の寄生虫と空想上の虫に対する鍼治療の登場。現在の小児鍼の代表的な適応症である疳の虫(小児のヒステリー諸症状)の淵源がこの室町時代に。

曲直瀬道三の全九集に小児の身柱穴へのお灸~ちりけ~が初出。ちりけ(塵気・散気)が丹毒の和俗名から身柱穴の別名に転化。

宣教師の文献に日本では大人の疾患と小児の健康、予防法にお灸が使われていたと記載(白人は瀉血)。

五輪砕(1450頃) 五疳虫…小児の病なり、疳蠍虫…小児の病なりなど。
針聞書(1568)小児の虫、おこるときは腹の張り、下し、夜泣き、瘡…いろいろ煩いありとも、針立て様、口伝…。

全九集(1544)「身柱の穴は第二椎の下の窪み… 小児の癲癇にも良し 三壮灸せよ 世にに ちりけと云いて下ろすはこの穴なり」

日欧文化比較(1585)

江戸時代 前期

丹毒の刺絡の批判と刺絡鍼法の再活性化。小児への従来より弱刺激で予防的な鍼の出現。

明国の医書十六種(1556以降 和刻は1654年)磁砭法 丹毒の患部を 片方の箸で磁片を叩打 

外科細漸(1606~10)鷹取秀次 丹毒の刺絡、悪しきと敬遠する動き

ただ明国の医書、古今医鑑(1577)万病回春(1588)の流入(和刻1600前後)で再び活性化 

雲海士流、妙鍼流は三陵鍼(和名・刃鍼)と独自の配穴で大人の刺絡鍼法を本格的に導入

明国の鍼灸聚英(1573)に小児鍼という熟語が現れ、岡本一抱の鍼灸抜粋(1676)が広めたが両書の意味するところは「細くて短い豪鍼」のこと。

広狭神俱集(1612)雲海士流 癖、積あらば病なくても細鍼で早鍼…発病前の予防的な現在の小児鍼に近くなる。

江戸時代 中期・後期

新生児への予防鍼灸の記載。小児の養生按摩が盛んに。蘭方を受容する前の刺絡流行。一般家庭での小児ちりけのお灸の広まり。大阪方面での小児鍼(中野針、うさぎ・うさぎ針)が盛況。小児鍼・藤井流鍼術の記載。


鍼灸秘粋(1692)匹地流 新生児の予防処置法の記載

「生まれてそのまま 廉泉 1から2分 大椎 飲乳を助ける 3分 脾兪 消化をほどこす 無病 麻疹を早くし 疳の心を去る…」

打鍼当流別伝(1772) 小児の針 金針 寫 浅く 錬りなく 跡も少し 浅く弱くが浸透していた。

明代末期の小児推拿の伝来「幼科急救推拿奇法」襲居中(1607)和刻(1696 1704)され 明 『小児推拿秘旨』巽廷賢(1604)は『小児推拿法和解』(1700)という書名で和訳刊行。

小児推拿の和刻本 和訳本力が契機となつて 日本では小児按摩が盛に。

導引口訣抄(1713) 宮脇仲策 小児養生按摩ノ法は、食滞を除くための予防的な小児按摩  小児の皮膚への訓圧は 碁石1~3 (4~12g)を目安とする弱刺激。

宮脇仲策の小児按摩は 1世紀ほど後に「小児養性導引小鏡」という施本となって民衆の間に知れ渡る。

京都の医師名簿「良医名鑑」(1713)には4人の按摩家を掲載するが稲田真柳と御縁見(女性)の2人は小児按摩を専門とする通常の小児科・按摩科とは別に小児按摩が独立した分科として認知される。小児鍼師の登場より50年も前のこと。

「万病回春」の青筋(のちに抄病と 重症化しやすい急性・伝染性・流行性疾患などの総称)説と砭鍼法を敷衍した清国・郭志隧の「抄脹玉衝」(1675)は、小島元撲が半世紀後に和刻(1723)  蘭方を受容する前の刺絡流行の起爆剤となる。

「退齢小児方」の小児の二大病因「大半は胎毒、小半は傷食」はこのころに一体化した模様。

「摂州平野人絵図」(1763) 中野村・小児鍼師  記載。大阪方面からも堺方面からも多数の病児が訪れたので名物の一つに数えあげられたのであろう。

大阪の菅沼周桂「鍼灸則」(1767) 舟疾、癖疾の二症、肝兪・隔兪・牌兪・胃兪および身柱・腰眼に至るまで血を出しこれを治せば効あらざるは無し。摂州中野村の―医、この法を行いて最も経験あり、俗に中野の一本鍼と称す…と書き残している。荻野元凱が蘭方式の「刺絡編」(1771)を刊行する以前の記録であり、明代の医書の延長線上に発達した刺絡鍼法とみられる。

「やしなひ卓」(1784) 「やいとをすれ 孝行者じゃ 親もよろこぶ 身も無事な」
挿絵 父親に抱擁される男児のちりけに母親が灸据える理想的な的な風景を描き出した。

「養生一言草」(1825) 「小児には ちりけ 天枢 筋かへを毎月すへて無病とぞ聞く」と「虫気ある 小児に灸を たへずせよ 試して見るに薬よりきく」の2首を掲載。

一方、小児灸に難色を示す小川顕道は「養生嚢」(1775)  世俗の小児を養うに、病も見えぬ前に、ひたすら灸治をする人あり。甚だ僻事なり。小児無病なる者に灸治を行う時は却って病を迎えると云えり…と忠告。

小児鍼の中野家が大坂民師番付に、中野村松栄の屋号で掲載されるのは江戸後期(1820)からで江戸末期には小児鍼としての中野針(1855~68)はブランド名となつていた模様。別のプランド名に、うさぎ・うさぎ針がある。
 
「近世浪華医家名鑑」(1845) 小児鍼 2家4名掲載 小児鍼 藤井文吾 藤井流鍼術祖

明治・大正時代

大阪での小児鍼の盛況。

明治期に台頭した大須賀流「鍼術治療大意」(1894) 大坂地方の疾病は必ず鍼するの良習あり。同門子、武田氏、彼地にあり。日々療する者二百人を下らず…と東京では考えられない大阪での小児鍼の盛況ぶり。

大須賀流「小児治例分」(1877) 夜泣き 百日咳嗽 吐乳など諸相 病因は項背の滞結なり 空法を施す  大須賀流は極細の豪鍼を用いるので「空法」は項背部の寫法か?
 
昭和時代

さらに弱刺激、刺さない小児鍼が主流に。逆に小児鍼の経絡治療(大人の治療)への影響。

「鍼灸医家評伝」(1925) 11名 「全国鍼灸医家名鑑」(1939) 12名の小児鍼の専門家 

藤井秀二は家伝の術式について柳谷素霊「鍼灸医学全書」(1940)に宛てたた手紙で、普通の鍼治家から見れば無刺激と考へられる如き1刺激が却って効果がある。多くの鍼治家が小児鍼なりと銘うってやつている実際を見ると皆強刺戦で、我々のやっている刺激とは格別の相違があると述べている 。

当時、接触・摩擦の小児鍼は非主流であるが、藤井のこの発言が主流派へと押しあげる契機となったようである。
 
関西鍼灸学院長の山本新梧は在学生だけに小児鍼の使用及応用点(1926)とい一枚刷を授与したが これが最古の小児鍼専門の印刷物のようである。 医道の日本1984.12 全文公開 

山本伝の鍼の持ち方、井上恵理が藤井秀二の継母である藤井ヨネから習ったものと瓜二つ。 

井上は藤井家を見学した折、ヨネの押手(左手)の動きとその役割の重要性に気づき、鍼をすると撫で又鍼をすると撫でる …あの左の手があやしいなと岡部さんと二人で良く見ていた「鍼灸臨床講義」(1970)と回想 。

そして同行していた岡部素道は切経を強調するようになり、経穴の取り方が不十分であると治療効果が少ない。経穴の硬結が消失すると身体違和および疾病の症候が消失し健康状態になると主張。「臨床鍼灸治療学」(1949)

東京で興った経絡治療の両雄が揃って左手(押手 切経)の重要性を再確認したとが今日の伝続鍼灸の概念の1つ、触覚を重視した診断治療技術を重視する(日本伝統鍼灸学会ホームページ)にまで昇華していく。

経絡治療家の小野文恵と山下詢は、非刺入鍼の体系化に貢献。

小野・山下が経絡治療における虚実の補潟に本格的に導入して以来 、気を調整する鍼法として、古典鍼灸研究会・東洋はり医学会および両会の分派が深化させ続けている。

要点だけを短く纏めたかったのですが、貴重な内容が多くかなり長くなってしまいました(・・;)

2024年6月8日土曜日

サイレント・インベージョン(静かなる侵略)


これから「脈診」の話をしよう 浦山玖蔵著 2018年 たにぐち書店 ①
 
まだ序章(42P)までしか読み終えていませんが、貴重な情報が沢山ありました。

2015年から日本の鍼灸学校の教科書「新版・東洋医学概論」が中医学(近年に中国で作られたもの)の内容に一変し、「東洋医学臨床論」も改訂されるそうです。すでに改訂されているかもしれません。

中医学は創られた経緯や出典などが示されていないと聞きます。

さらに中国では中医学の批判をすることも出来ないようです。

どういった流れで日本の教科書がこのようになっているのか良くわかりません。

いつか「日本伝統医学概論」のような教科書が生まれると良いですね。

2024年4月8日月曜日

伝統医学の諸問題


伝統医学の諸問題 鍼灸医学からのアプローチ 藤原知・藤本蓮風編著 昭和48年 伝統医学新人の会

1970年はじめ頃の鍼灸医学の現状と問題などについて纏められています。


「 古流 各鍼術の栄枯盛衰にはそれなりの理由が見出されるのですが、それら各流派の日本鍼灸術という太い流れのなかで位置づけ、その理念の解明、理論上および技法上の特色などへの証明、整理、そして体系化を行うなかで一本の筋の通った日本的、伝統的な鍼灸医学の基本的特徴を明らかにするとともに、中国や朝鮮でのそれとの差異性を浮彫にし、日本鍼灸医学の全体像-未来へもつながる全体像を明らかにする課題がここにあるとおもわれるのです。」41ページ

「それは大陸から伝来した輸入と模倣の内容から脱皮、発芽して、わが国の歴史と風土のなかで日本人の民族的特質、生活様式、労働等々の諸条件に応ずるべく日本的な独自な展開と開花をなしとげてきたその基盤のうえにこそ、それを伝承し今日的に発展させたものとしての現代日本の鍼灸が成立するのでなければならないと考えるからです。」41ページ


6世紀に大陸から鍼灸がもたらされ、時代とともに日本独自の様々の鍼灸流派が生まれましたが、明治になって西洋医学が主流となり漢方・鍼灸は衰退を余儀なくされました。

現在、日本の伝統鍼灸というと昭和初期に活躍された柳谷素霊(やなぎや それい 1906年~1959年)が「古典に還れ」と提唱され、それに呼応した方たちによって創出された経絡治療(けいらくちりょう)を指すことが多いと思います。

残念ながら今の日本の鍼灸学校の教科書は圧倒的に中医学の影響が強くなってしまっているようです。

ただ一方で平成15年に杉山真伝流の文献の発見され出版されたり、日本の鍼灸流派に関する情報や研究もようやく増えてきているように思います。


「この課題の実践は単に医学上の遺産の継承にとどまらず、民族の文化遺産の継承の問題とも深いかかわり合いをもつことは言うまでもありません。」41~42ページ


日本の各時代に興った鍼灸流派の研究を踏まえた、日本鍼灸の教育が鍼灸学校に根付くと良いですね。