現存最古
遣唐使が廃止(894年)され、それまでに輸入された大陸の文化は日本の風土、感性に合うように洗練された「国風文化」が花を咲かせます。
医学の分野でも日本人による医書の編纂や注釈が行われるようになりました。
大同類聚方(808)、金蘭方(870年以前)、注釈書では難経開委、集注太素などが編纂されましたが、これらは失われています。
日本に現存する最古の医書は「医心方」(いしんほう・984年・全30巻)と呼ばれる書物です。
丹波康頼(たんばのやすより・912~995年・針博士、医博士)により編纂されました。
それまでに伝来していた医書を悉く読破し編纂されたもので、平安時代における中国医学受容の集大成といわれます。
「ほとんどは漢~唐の医薬書からの引用からなるが、その編集法には日本人的選択眼が反映されている。すなわち、陰陽五行や脈論など、観念的・思弁的な論は排除する傾向にある。論理よりも即応性・実用性を重んじた日本的にほんの個性のあらわれである。」
針灸の歴史 小曽戸洋・天野陽介著 大修館書店 172ページ
典薬寮(律令制において宮中の医療を主る機関)の典薬頭(てんやくのかみ)などの主要な役職は、和気清麻呂(733~799年)の長男である和気広世(わけのひろよ)の家系(半井家・なからい)と、この丹波家で代々世襲されて行きました。
ちなみに①
和気清麻呂は道鏡による皇位簒奪(さんだつ・天皇の位を奪うこと)の野望から皇統を守ったことで有名ですね。
ちなみに②
丹波康頼は渡来人の家系で、後漢の霊帝(156~189年)の子孫とされています。さらにその子孫にあたるのが丹波哲郎さんだそうです。
ちなみに③
日本で最初に著された医書として和気広世による薬経太素(799年)という説がありますが、これはた誤訳から生まれた誤りのようです。実際には和気広世が陰陽道の書や新修本草と太素の講義を行ったそうです。
和気広世は最澄(766~822年)や空海(774~835年)とも関りがあったようです。
ちなみに④
丹波康頼(912~995年)と安倍晴明(921~1005年)はほぼ同時代です。
典薬寮(宮中の医療を主る機関)の長官にあたる初代の典薬頭は役小角(えんのおづぬ・修験道の開祖 )に師事したとされる呪術師、韓国広足(からくにのひろたり・物部氏・732年)が就いています。当時は医師、針師らと共に呪術師(呪禁博士・呪禁師・呪禁生)が置かれていて、医療と呪術が近い関係にありました。呪術師は後に陰陽寮に吸収されます。
丹波康頼が編纂した医心方の中にも呪術的な要素が残っています。
同時代に典薬寮と陰陽寮で生きた丹波康頼(912~995年)と安倍晴明は何か交流があったのでしょうか…。
新版 漢方の歴史 小曽戸洋著 大修館書店
針灸の歴史 小曽戸洋・天野陽介著 大修館書店