飛鳥・奈良時代に国家の法体系・制度(律令制)が整えられ、宮内省には典薬療が設けられました(大宝律令・医疾令・701年)。
典薬療は医師(いし・くすし)・針師・按摩師・薬園師・呪術師などで構成され、朝廷の医療、薬園の管理、医学教育などが行われました。(皇室の医療に携わる内薬司(ないやくし・うちのくすりのつかさ)も後(896年)に典薬療に併合されます。)
医療も唐の法令に準じて(唐の水準に比肩しようと)次の書物の学習が要求されたそうです。
医生(医学生) 甲乙経 脈経 本草 小品方 など
針生(針学生) 素問 黄帝針経 明堂 脈訣 流注図 偃側図(えんそくず) 赤烏神針経など
医生、針生は13~16才から7年間ほど学び厳しい試験を受けたようです。
平安時代(820年の勅令)には疱瘡(天然痘)の流行からか針生にも薬剤の知識を要求されます。
新修本草(薬) 明堂 劉涓子鬼遺方(外科・りゅうけんしきいほう)と、さらに小品方 集権方 千金方 広済方 の瘡の治療に関する部分の学習を課せられました。
延喜式(法典・養老律令の施行細則・927年完成)では、太素 新修本草(薬) 小品方(薬・灸) 明堂 難経 の5書に定められます(912年)。
菅原道真の諫言により遣唐使が廃止(838年)されたのは、唐が衰えてきたことや、航海の危険性もありますが、すでに唐の文化を十分に取り入れていたからとも言われます。
この時代の医書についても隋書・経籍志(図書目録)に匹敵するか、凌駕するほどだったそうです。
この典薬療は明治維新により制度改革されるまで続きました(明治2年・1869年廃止)。
中国医学は今から2000年ほど前に纏められた黄帝内経(原本は喪失・この中では素問・黄帝針経・甲乙経・太素)などの古典を基礎に発展したものです。現代もそれと同じ(あるいは近い)ものを学べるというのは感慨深いですね…。
参考文献
新版 漢方の歴史 小曽戸洋著 大修館書店
針灸の歴史 小曽戸洋・天野陽介著 大修館書店